l'Odradéque bavard(お喋りなオドラデク)

フランス滞在中の備忘など、さしあたり。

生きた心地――ドゥルーズ『意味の論理学』第22セリーに関する覚え書き(4)

アルコール中毒者の「複合過去」、それはかつて失われた対象との同一化を想像的に果たしつつ、しかしあくまでも今ここで独り酔いつつある時間を現実として生きることだ。そして現実の時間は常に流れ続けている。つまりこの二重の生はすぐさま、その全体がひ…

生きた心地――ドゥルーズ『意味の論理学』第22セリーに関する覚え書き(3)

酩酊状態の時間性、というところまで前回は話をした。 酔いのさなかにある中毒者は、今まさに酒を飲んでいるこの現在と同時にもうひとつ「他の瞬間」を生きている(ドゥルーズはこれら二つの時間の奇妙な共存を「こわばった肉」(現在)とそれが取り囲む「柔…

生きた心地――ドゥルーズ『意味の論理学』第22セリーに関する覚え書き(2)

一個の章(セリー)だけ読み返すのではどうしても理解があやふやになってしまう。けっこう自分なりに砕いたつもりだったけど、それでも解りにくい。 というわけで復習も兼ねてもう一度、まとめなおしておきたい。 人生を「崩壊の過程」と捉えるということ。…

生きた心地――ドゥルーズ『意味の論理学』第22セリーに関する覚え書き(1)

ドゥルーズの『意味の論理学』を邦訳で読んだとき、飛び抜けて気に入ったのが第22セリーだった。 訳書での表題は忘れたけど元のタイトルは Porcelaine et volcan(陶器と火山)。 このセリーの主役は英国の作家ラウリーとアメリカの作家フィッツジェラルドだ…